江戸時代の質屋には、さまざまなしきたりや決まりがあって、これがなかなかおもしろい。たとえば、鎧兜、その他の武具類を質草に取ることは、まず厳禁されていた。さらに葵御紋のある将軍家、徳川御三家のものはもちろんのこと、諸大名や旗本の標識(紋所)のある品物を質に取ることも絶対に許されなかったが、実際は、旗本の紋所のある品々が質蔵にゴロゴロしていたという。背に腹は変えられなかったのだろう。それから、贅沢な品々の所持はもともと禁じられていたが、質屋に金製や銀製の金具のついたものを市民から取るときは、通帳に金製と記さずに「鍍金」と書き、銀製は四分のこと書いたという。さらに、火消屋敷のガエン(火消し人足)のふんどしに銭一貫文を貸すのが慣例になっていたり、土蔵のない商家が火事をおそれて大事な品々を質屋に預け、金庫代わりに利用したりもしていたようだ。火事の多かった江戸ならではのことである。驚くのは、質屋には動産(物品)だけでなく、不動産(土地)をも扱っていたことで、預かり品は、品物の場合は三ヵ月ないしは八ヵ月だが、土地は一〇年という。近代になって質屋営業も法令化され、明治二十八年(1895)に「質屋取締法」が制定される。なぜ「取締法」なのかというと、質屋は、盗品や紛失品が持ち込まれる場合が多く、きびしい取締りの対象と見なされていたからである。こういった点からも、質屋と古物商は同じ商売仲間というのがよくわかる。